1958年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第10回大会である。6月にマン島で開幕し、イタリアのモンツァで開催された最終戦まで、全7戦で争われた。
シーズン概要
この年からスウェーデンGPが世界選手権の1戦に新たに加わって全7戦となった。毎年開催地が変更されているドイツGPは、この年はニュルブルクリンクの北コースが舞台となった。
車両規定の変更によってこの年から手首以外のライダーの全身と前後のホイールが横から見えていなければならないとされた。また、カウリングを装着する場合は前端がフロントアクスルの50mm前まで(後に100mm前までに変更)とされ、このために前年までのマシン全体を覆うダスドビン・フェアリングは姿を消した。代わってステアリングヘッド周りとエンジン部分だけを覆う小さなカウリングが装着され、マシンの外観は現在のレーシングマシンに近いものとなった。
この年のグランプリは結果としてMVアグスタが全クラスを制することになったが、500cc/350ccクラスと250cc/125ccクラスでは些か状況が異なっていた。ヨーロッパにおけるオートバイ市場の冷え込みを理由に前年をもってジレラ、モト・グッツィ、モンディアルといったイタリアの大メーカーがグランプリから撤退し、オートバイ以外にヘリコプター販売という資金源を持っておりレース活動はオーナーのアグスタ伯爵の個人的なプロジェクトという色合いが強かったMVアグスタだけがこの年以降も活動を継続したため、大排気量クラスでは有力なファクトリーがMVアグスタだけという状況になった。対照的に125ccや250ccクラスではモリーニやドゥカティといった新たなチャレンジャーが現れ、MVアグスタに挑んだ。中でも東ドイツの小メーカーであるMZは、1952年にDKWのマシンが1勝したきりでそれ以降は問題にならないとされていた2ストロークエンジンがグランプリでも勝てることを証明した。エンジニアのヴァルター・カーデンの手による最新の理論に裏づけられたMZの2ストロークの速さは、後の日本製GPマシンに大きな影響を与えることとなる。
ゲイリー・ホッキング、マイク・ヘイルウッドという後のワールドチャンピオンがこの年グランプリデビューを飾り、両者とも早くも表彰台に登っている。その一方、前年の350ccクラスチャンピオンであるキース・キャンベルは、ベルギーGPの1週間後にフランスのカドゥール・サーキットで行われたノン・タイトルのレースで命を落とした。
500ccクラス
唯一のファクトリーチームとなったMVアグスタにライバルは存在せず、ジョン・サーティースは出場しなかったスウェーデンGP以外の全てのレースに勝利して1956年に続く2度目の500ccクラスタイトルを決めた。チームメイトであるジョン・ハートルも4度表彰台に登る速さでサーティースをサポートし、ランキング2位を獲得した。
前年までMVアグスタ以外のイタリアのファクトリーで走っていたライダーは、その多くがノートンの市販マシンに乗り換えた。かつてのチャンピオンのジェフ・デュークもシーズン前半はBMWで戦ったが後半はノートンに乗り、スウェーデンでこの年サーティース以外で勝利した唯一のライダーとなった。これはデュークにとってグランプリ通算33勝目であると同時に最後のグランプリ優勝だった。
前年にその存在を公表されたMVアグスタの6気筒は、この年のイタリアでジョン・ハートルの手によって実戦デビューを飾った。レースでは最後尾スタートとなったものの一時は4位まで追い上げるスピードを見せたがトラブルによってリタイヤとなり、その後はサーキットに姿を見せることはなかった。
350ccクラス
唯一のファクトリーであるMVアグスタのジョン・サーティースが出場した全てのレースで勝ち、MVアグスタが不出場だったスウェーデンGPではノートンの市販マシンに乗るジェフ・デュークが勝利するという、500ccクラスと全く同じ展開となった。サーティースは、500ccクラスと併せてこの年出場した全てのグランプリで優勝したことになる。サーティースとともにMVアグスタに乗るジョン・ハートルがサーティースに次いで多く表彰台に立ち、ランキング2位を獲得したのも500ccクラスと同様だった。長い間ノートンやモト・グッツィの単気筒が制してきた350ccクラスで、多気筒エンジンのマシンによるタイトル獲得はこの年のMVアグスタが初めてである。
250ccクラス
MVアグスタは小排気量クラスにはカルロ・ウビアリに加えて前年までモンディアルのライダーだったタルクィニオ・プロヴィーニを乗せ、250ccクラスはプロヴィーニにタイトルを獲らせる戦略を採った。プロヴィーニは期待に応えて開幕戦から3連勝を飾り、第5戦のアルスターGPで4勝目を挙げてタイトルを決めた。
東ドイツのホルスト・フュグナーは速さはあるものの神経質で壊れやすいMZの2ストロークを巧みに操り、スウェーデンでは自身とMZにとっての初勝利を挙げるとランキングでも2台のMVアグスタの間に割って入る2位を獲得した。フュグナーの活躍によって、外国のライダーたちもMZに乗ることに興味を示し始めた。
開幕戦のマン島ではマイク・ヘイルウッドが初めてのグランプリで3位表彰台を獲得した。この時ヘイルウッドは18歳で、乗っていたのは市販のNSUだった。また最終戦のモンツァではモリーニの新型マシンがデビューし、エミリオ・メンドーニとジャンピエロ・ツヴァーニによってデビュー戦でワンツーフィニッシュという快挙を成し遂げた。
125ccクラス
MVアグスタは125ccクラスでは250ccクラスとは逆にカルロ・ウビアリにタイトルを狙わせ、タルクィニオ・プロヴィーニにはサポートに回らせた。開幕戦では思惑通りウビアリが優勝したが、2位・3位に入ったのはこの年からフル参戦を開始したドゥカティのロモロ・フェリとデイブ・チャドウィックだった。ドゥカティにとってはこれがグランプリ初表彰台である。その後もシーズンをリードするウビアリをドゥカティ勢が追いかける展開が続き、第3戦のドイツではアルベルト・ガンドッシがドゥカティにグランプリ初優勝をもたらした。タイトル争いは終盤のアルスターGPでウビアリが4勝目を挙げて決着し、2勝を挙げたガンドッシと3度の2位入賞を果たしたルイジ・タベリというドゥカティの2人が、プロヴィーニを押さえてランキング2位、3位を獲得した。
MZの2ストロークはこのクラスでもエルンスト・デグナーとホルスト・フュグナーによってコンスタントに入賞を果たし、ドイツGPではデグナーが3位表彰台を獲得している。
グランプリ
最終成績
- 全クラスで上位入賞した4戦分のポイントが有効とされた。
- 凡例
500ccクラス順位
350ccクラス順位
250ccクラス順位
125ccクラス順位
脚注
参考文献
- ジュリアン・ライダー / マーティン・レインズ『二輪グランプリ60年史』(2010年、スタジオ・タック・クリエイティブ)ISBN 978-4-88393-395-2
- ケビン・キャメロン『THE GRAND PRIX MOTORCYCLE』(2010年、ウィック・ビジュアル・ビューロウ)ISBN 978-4-900843-57-8
- マイケル・スコット『The 500cc World Champion』(2007年、ウィック・ビジュアル・ビューロウ)ISBN 978-4-900843-53-0




