内藤 信貞(ないとう のぶさだ)は、江戸時代前期の陸奥国棚倉藩の世嗣。
略歴
2代藩主・内藤信良の長男として誕生。母は松平直基の養女(本多昌長の娘)。幼名は藤太郎。
寛文6年(1666年)徳川家綱に披露されるが、寛文13年に早世した。享年14。法名は法雲院恵林。葬地は小石川無量院(廃寺)と伝えられている。
当時信良には男児が無かったため、寛文13年(延宝元年)10月、養子として内藤弌信が迎えられ、延宝2年にその家督が継承された。
参考文献
- 『新訂寛政重修諸家譜』13巻 続群書類従完成会、1984年 同書201頁



