甘露寺 経遠(かんろじ つねとお)は、安土桃山時代の公家。官位は正四位上・蔵人頭、右中弁。甘露寺家21代当主。
経歴
天正4年(1576年)、准大臣・勧修寺晴豊の次男として誕生。母は陰陽頭兼刑部卿・土御門有脩の娘。
権大納言・甘露寺経元の養子となる。慶長7年(1602年)、卒去。法名は禅空。
家督は権中納言・正親町三条公仲の三男で養子・豊長が継いだ。
慶安手鑑などに筆蹟が有り、名筆の誉れ高い。
系譜
- 父:勧修寺晴豊(1544-1603)
- 母:土御門有脩の娘
- 養父:甘露寺経元(1535-1585)
- 妻:不詳
- 養子
- 男子:甘露寺豊長(1590-1606) - 正親町三条公仲の三男


