メイショウオウドウ(欧字名:Meisho Odo、1995年5月29日 - 2021年7月18日)は、日本の競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍に2000年の産経大阪杯、2001年の鳴尾記念。

戦績

  • 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ

1997年8月9日、小倉競馬場での3歳新馬戦でデビューし、1着。3歳時はこの1走のみで、翌1998年の京都4歳特別で戦列に復帰してミラクルタイムの3着に入る。500万下戦で2戦して2着、1着としたあとラジオたんぱ賞でビワタケヒデの2着に入るが、秋初戦の神戸新聞杯で6着に終わり、1年近い長期休養に入る。5歳となった1999年夏のTVQ杯で復帰して勝利をおさめ、格上挑戦で出走の朝日チャレンジカップでツルマルツヨシの2着。続く毎日王冠でもグラスワンダーとタイム差のない2着に入り、天皇賞(秋)は14着に終わったものの京阪杯では3着に盛り返した。

6歳を迎えた2000年初戦の京都金杯こそ11着に崩れたが、オープン特別の大阪城ステークスを勝って臨んだ産経大阪杯ではロードプラチナムを下して初めて重賞を制した。続く3戦は6着以下の成績に終わったが、マイルチャンピオンシップではアグネスデジタルの3着に入る。2001年も上半期にはマイラーズカップ2着、安田記念3着とマイル重賞で3着以内に入る走りを見せ、秋を迎えて初めの3戦は未勝利に終わったものの、12月の鳴尾記念では逃げの手を打ってダイタクリーヴァ、アグネスゴールドらを封じて重賞2勝目を挙げた。次戦の有馬記念では8着。2002年も現役を続ける計画もあったが、生産地からサンデーサイレンス産駒の種牡馬を求める声があったため、1月4日付で競走馬登録を抹消し、競走馬を引退。有馬記念が最後の競馬となった。

競走成績

以下の内容は、JBISサーチおよびnetkeiba.comに基づく。

引退後

引退後は2002年からイーストスタッドでメイショウドトウと共に種牡馬となった。種牡馬としては12シーズンの供用で血統登録頭数193頭、出走頭数は素縫地の173頭で、106頭が勝ち馬となった。2016年3月24日付で用途変更されて種牡馬を引退し、引退後は功労馬繋養展示事業の助成を受け、白老町のホースガーデンしらおいで功労馬として余生を送っていた。2021年7月18日朝に26歳で死亡。翌19日、ジャパン・スタッドブック・インターナショナルから発表された。

主な産駒

  • 2003年産
    • メイショウシャフト:関越S (OP) ・トパーズS (OP) 2着
    • メイショウヨシヒサ:マリーゴールド賞 (OP) 2着
    • デンコウグリーン:小倉サマージャンプ (J.G3) 3着・新潟ジャンプS (J.G3) 3着
  • 2004年産
    • ヒカルアヤノヒメ:2023年時点で現役最高齢の競走馬
    • ベイリングボーイ:オーシャンステークス (G3) 3着
  • 2005年産
    • オペラウィン:ル・プランタン賞
  • 2008年産
    • ドレットノート:フジノウェーブ記念2着

ブルードメアサイヤーとしての産駒

  • 2014年産
    • オヒナサマ:花吹雪賞

血統表

  • 近親にトブーグ(サラマンドル賞、デューハーストステークス。香港カップ2着)。

脚注

参考文献

  • 『優駿』 2002年2月号、日本中央競馬会、2002年2月1日。 
    • 『monthly Topics 今月のトピックス』

外部リンク

  • 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post
  • メイショウオウドウ - 競走馬のふるさと案内所

ーメイショウドトウとの出会いに感謝してー / さん さんのイラスト ニコニコ静画 (イラスト)

メイショウドトウ ibisPaint

メイショウドトウ「んほー メイショウドトウ 」おりばの漫画

メイショウドトウ「メイショウドトウ、目を見たらぐるぐるしているのが可愛いな」ののもとむむむのイラスト

ダイユウ on Twitter